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無条件の肯定的関心

11/14の記事で、カウンセラーのあり方や態度の条件の2つめとしてあげたものです。
解りにくい日本語ですが、これは無条件にクライアントさんを認めること、受け入れることです。


問題を抱えていると自分を肯定的に感じられなくなったり、本来の自分からかけ離れて、ある状況や条件に自分を合わせて自分の価値をあげようとしたり、好かれようとしたりする傾向がでてきてしまうことがあります。


実際の社会生活の場面では、例えば、売り上げ目標が達成しないと組織内での価値を認められなかったりすることがあります。この場合、このある特定の価値観は、特定の状況で起こっているということに自覚があれば、自分の特性を生かした営業の仕方を工夫する、より自分にあった仕事を模索するなど、前向きな考え方に結びつけていくことができます。


しかし、ときに特定の状況で起こった経験が人生やその人全体に影響を及ぼしてしまうことがあります。
この例の場合、「売り上げが達成できないなんて、私は人間としての価値がないんだ」などどいうようにです。


本来営業成績とその人自身の価値は、切り離されるべきものです。


カウンセラーがクライアントさんのありのままを(たとえ営業成績が悪くても、母親として至らないところがあると思っていても、友人に嘘をついてしまったとしても、etc)、無条件に受け入れることで、クライアントさんは、自分自身が受け入れられる、認められる存在であるということを経験できます。


この経験は、自分が成績がよかったときだけ、人に親切にしたときだけ、受け入れられるという条件付きで受け入れられることとはまったく違う経験になります。


無条件でクライアントさんを受け入れる態度は、クライアントさんが「自分は自分のままでいいんだ」そう感じることをセッションで繰り返し経験することによって、自分自身を肯定的に受け入れていくことを助けるために大切なものと考えています。
また、セッションで、自由に話したいことを話すことができるようにするためにも重要です。





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自己一致

来談者中心療法におけるカウンセラーのあり方や態度の条件のひとつに、「自己一致」があります。


テキストや書籍でいろいろな形で表現されていますが、私は、「自分自身が自分のあり方、感じ方に自覚をもっていること、意識していること。それに基づいて、もしくは一致して自己表現していること」としています。


自分自身についての自覚がかけていると、クライアントさんに対して、「裏表があるカウンセラー」、「本当は解ってくれてない」などという印象を与えてしまうことがあります。


例えば、クライアントさんの話が自分の価値観にそぐわないような場合もあります。その時に、自覚なしに、カウンセラーらしく振る舞おうとすると非言語コミュニケーションの部分で別のものが表現されてしまうことがあります。
言葉はやさしいのに目つきが変わった、無意識にクライアントさんから体を背けてしまった、などです。


この場合、重要なのは「表面的はカウンセラーらしい行動」をすることではなく、自分の感情の動きに気づくことです。そして、自分の情動を自覚した上で、クライアントさんに接することです。


この自己一致ですが、日常的に多くの方が意識されるようになれば、コミュニケーションがもっとスムーズになるのに、と思うことがよくあります。


例えば、コミュニケーションのセミナーなどで言われるテクニックのひとつに、相手のことを言うのではなく、自分の状態伝える、というものがあります。


誰かに傷つけられてたときに、それが怒りに変わって「あなたはいつも~だから」などと相手を責めてしまったりすることがあります。特定の人間関係でパターン化してしまっているような場合もあると思います。


自分の心の状態に自覚があり、コミュニケーションのテクニックについて、少しの知識があれば、相手を責めるより「そう言われると、悲しいなぁ」とか、少し冗談っぽく「傷ついた・・・」など、いつものパターンを崩す方法がいくつか考えつくように思います。






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来談者中心療法

1940年代にアメリカの心理学者カール・ロジャースによって創始された心理療法です。


「誰もが生まれながらにして、心身ともに成長していきたいと願っている」という仮説、「自分らしさを発揮したいという傾向をもっている」という仮説に基づいています。


ロジャース以前のカウンセリングや心理療法では、専門家が指示や助言を与えるというやり方が中心でした。カウンセラー側が中心にセッションを進めることが多かったわけです。
それに対し、クライアントを信頼し、「非指示的」に接することから「来談者中心療法」という名称を用いるようになりました。


クライアント自身が問題解決する力をもっているという考え方ですので、カウンセラーの側からは指示は行わず、クライアントが「本来の自分らしくある」ことができるような場をセッションで作り出すようにしていきます。


そのためのカウンセラーのあり方や態度の条件として、

(1)自己一致
(2)無条件の肯定的関心
(3)共感的理解

をあげています。


この「クライアント自身が問題解決する力をもっている」、という考え方に関連してよく思い出すミルトン・エリクソンの逸話があります。


おおよそのあらすじ以下のとおりです。
エリクソンがまだ子供のころ友人と野外にいると、一頭の迷い馬に出会ったそうです。
どこの馬などどいう印はなかったとのことですが、エリクソンは自分がこの馬を持ち主に返せると友人に言ったそうです。そして、その馬にまたがりました。馬は自分で自分が記憶している家へと帰って帰ったそうです。


例えば、馬を引っ張っていっていろいろな人に、「この馬の持ち主しりませんか?」などどいう探し方もあります。そういったことをせず、馬を信頼した訳です。


とても象徴的な意味があるように感じます。





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ロバート・ボズナック氏 ナイトセミナー (2)

■ロバート・ボズナック氏 ナイトセミナー (2)

2009年2月5日に参加したロパート・ボズナック氏のナイトセミナーについての続きです。


セラピストのクライアントに対する姿勢については、いろいろと議論のある点です。「治す」「援助する」「付き添う」「一緒にただその場にいる」など、立場や考え方の違いでいろいろな表現が使われます。


ボズナック氏は87のセラピーを研究し、その結果、指示的なワークも非指示的なワークも同様に有効であった、そして、どれか突出して効果の高いセラピーが在る訳ではなかったとの結論にたどり着いたそうです。


いくらセラピストが非指示的なやり方で進めようとしても、やはり「私を治してください」という姿勢のクライアントは存在する、向き不向きは在るであろうとのことでした。


向き不向き、合う合わないというのは、あたり前のことですが、87もの違うセラピーを研究した結果たどり着いた結論、と聞くと説得力があり安心しました。


私自身、セラピスト的な仕事を始めたきっかけはカードリーディングを仕事で始めたことでした。一般的に占術に見られるような指示的なやり方に限界を感じ、心理カウンセリング、心理療法、プロセスワークを勉強し、カードを使っても占星術をつかっても一方的なリーディングにならないようなやり方を試行錯誤してきました。


ずっとカードや占星術を使う場合でもあまり指示的になってはいけないように感じているところがありました。ボズナック氏の言葉を聞いて、もしそれがクライアントの希望することであれば、指示的であってもいいのかもしれないという気持ちになりました。


ボスナック氏は、クライアントの内面に何かが起こっているとき、セラピストの内面にも同時に何かが起こっている、という相互的な関係性を重要視していました。この点は同じユング派の系列であるプロセスワークと同じです。プロセスワークでは、クライアントの反応に気づくと共に、自分自身に起こっていることに気づくことが重要視されています。


指示的、非指示的、という言葉に振り回されるより、そのときのクライアントの反応や自分に起こっていることに注意を向けるべきだ、と改めて思いました。

関連サイト
サイバードリームワーク(英語)
体現的想像の国際学会(英語)
国際夢研究学会(英語)





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ロバート・ボズナック氏 ナイトセミナー

■ロバート・ボズナック氏 ナイトセミナー

2009年2月5日にロパート・ボズナック氏のナイトセミナーに出席しました。

ロバート・ボズナック氏とは、ユング派の分析家の一人でオーストリアで臨床を行っている方です。Embodied Imagination の方法を開発し、世界中でセラピストや役者など芸術家の訓練にあたっている方とのことです(セミナー案内より抜粋)。
著書もありますので、お名前をご存知の方もいらっしゃるかと思います。


私は、プロセスワーク、占星術、タロットカードなど、イメージや象徴を使うセラピー、また、イメージや象徴体系や在り方、働き方そのものにも長年興味を持っています。今回も夢を使ったセラピーやトレーニングを行っている方ということで出席しました。


いくつか心に残った点をここで紹介していきたいと思います。


夢の世界、夢の中の登場人物は、自分の現実の世界(現実と感じる世界のほうがただしいかも)や自分自身とは別の実体として存在する。


たぶん、↑の文章は意味が分かりにくいと思います。夢は自分の内面の一部が登場人物などに象徴されて出てくるものと解釈されたりすることが多いですが、そうではないということです。


プロセスワークも夢を多く使いますが、プロセスワークでも私の限られた経験の中で知る限り、夢を自分の一部分として解釈します。ボスナック氏のいう、夢の中の人物が自分と独立して固有の意識をもっているという夢の捉え方は、とても衝撃的でした。


ボズナック氏がユング派のトレーニングを受けていたとき、教育分析を受けていたのが、ジェームズ・ヒルマン氏(2人目、ヒルマン氏の前に別の分析家に分析をうけていた)だったとのことです。そのヒルマン氏が、ボズナック氏に言ったことが、「夢をすべて自分の一部分として解釈するのは、自分のエゴを肥大させることだ」というようなことをおっしゃたそうです。


ところで、自分の一部分として解釈するのではないとすると、夢にどう向き合えばいいのでしょうか?
「出会いそのものに意味がある」ボズナック氏はそのように語られました。人と人が出会うように、人が旅先で新しい風景に出会うように、夢に向き合えばいい、そうゆうことと私は理解しています。


どちらが正しいか、ということは問題ではないと思います。
ポイントは夢に対する偏見から解放されること、夢を解放することだと思います。夢の人物を自分とは別の実体として意識していけば、夢やそのイメージが一つの実体として自在に動き、自分に新しい視点を与えてくれる、そうゆうことだと思います。

アクティブイマジネーションに近い感じの印象をうけました。













↑「アクティブイマジネーション」はとても面白いです。イメージや夢が好きな方にはお勧めです。ボスナック氏の著作は、まだ読んでいません。会場で会った方に「クリストファーの夢」は名著だと勧められました。読んでみるつもりですので読後レビューします。





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プロフィール

Key(ケイ)

Author:Key(ケイ)
認定心理カウンセラー
認定アストロカウンセラー
認定Tarot de Paris ファシリテーター
認定バッチフラワーレメディ プラクティショナー

「占いの窓」で、占い、カウンセリングを行なっています。

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